要諦
架け箸は、関わる人やお客さんに中東パレスチナに関心を持ち、ファンになってもらったり、文化理解を深めてもらう機会を提供することで、現地で起きている迫害や環境破壊等の人災にストップをかけたい、という趣旨で活動しています。
現在、エネルギー等の分野では目標数値が定められるなど改革が進んでいる(それでも遅々としたものですが)状況ですが、人権分野にはなかなか目が向けられにくい現状があります。SDGsでは、誰一人取り残さないと謳っていますが、既に何十年も取り残されたままの人達がたくさんいて、パレスチナもそのひとつです。
イスラエルとパレスチナの問題は、国際政治と先進国の利権が相まって非常に扱いにくい問題になっています。しばしば複雑な問題ですよね(難しくてよくわからない)、というお声も聞きます。
しかし、架け箸が問題視しているのは、もっとシンプルなこと、「パレスチナの人達へのリスペクトの欠如」です。
私が出会った現地の人達は、極悪人でも犯罪者でもないにもかかわらず、イメージだけで世界から危険な人達扱いされ、あるいは可哀そうだと言われ、イスラエル国家からは日常的な迫害を受けながら暮らしています。今、この時も起きていること、彼らに対する非人間的な扱いを、許容してはいけないと思っています。
今失われている現地の人達へのリスペクトを回復させること、そして「この人たちは大事な人達なんだ」というメッセージが届くことが、迫害への抑止力に繋がります。
そうした想いで、公正に、直接やり取りをして商品開発と仕入れをしている手仕事の販売と、文化交流イベントの企画運営、SNSやブログでの情報発信をしています。
出会いと動き始め
初めてパレスチナの名前を耳にしたのは、たしか高校生の時でした。
授業で「パレスチナ問題」を知り、そんな大きな問題が、こんなに長い間(当時で約65年間)放置されているのか!とショックを受け、それがずっともやもやしていたので、大学では学術書を読んで知識を仕入れていました。
「書を捨てよ」という言い回しもあるように、人類学という、外に出て目で見る大切さを謳う学問に身を置いていた私はどうしてもパレスチナの現場が見たくなり、当時の留学先からパレスチナへと足を伸ばしました。
なぜ日本から行かなかったかというと、反対されるのではと怖かったからです。
皆さんは、身近な人がパレスチナに行くと言ってきたらどう思いますか?
私の場合、周りにはやはり心配されました。その原因となるのは「パレスチナ問題」であり、パレスチナにはどんな危険があるか分からない、と思われているからです。
イスラエルの占領下にあるパレスチナでは、境界線付近で軍と民間人が衝突したり、自由を求めて抗議行動が発生します。イスラエルが2002年から建設を続ける”分離壁”という高さ8メートルの壁が土地を分断し、農業や産業の育成を困難にしています。
こうしたイメージを伝える報道が「パレスチナは危ない」という認識を生んでいるのですが、パレスチナ全土が外も出歩けないほど危ないだとか、銃弾が飛び交っているだとかいうことはありません。
私も現地に行って拍子抜けした、パレスチナの暮らしがそこにはあるのです。
初めて訪れたのは2018年の2月、観光客としてでした。
知人に案内してもらい、口にしたオリーブオイルの美味しさは忘れられません。
なかでも驚いたのは、パレスチナの伝統刺繍を目にした時でした。やはりどこか紛争地だと思っていたところでその鮮やかな色彩と出会い、私の中のパレスチナは色を変えたのだと思います。その時は事業など夢にも思わず、ごく個人的なレベルで「日本に持って帰ってハレの日に身に着けたいなぁ~」と妄想していました。
2度目の訪問はホームステイでした。
初日からごく自然に家族に迎え入れられ、滞在中は何度同じ釜の飯をいただいたか分かりません。宗教的な価値観もあっておもてなしの精神が根付くパレスチナでは、大人は勿論、その姿を見ている子どもたちからもたくさんのおもてなしを受けました。
親切は身内に留まらず、道で出会った人、お店の人、タクシーの運転手、ホステルの女将さんにも助けてもらい、人の距離が近いので7歳年下の友達も出来ました。そんなときはすぐに家族ぐるみのお付き合いになり、訪問して泊まっていくのも自然なことでした。
一番の優しさの源泉は、やはりホストマザー。彼女の口癖は、お腹空いてるでしょ?もっと食べなさい!で、お互いに言葉が通じないながらもいつも温かな表情で私を見守ってくれました。
旅好きなのに遠出しなかったのも、家にいて彼女と同じ時間を過ごしたかったからでした。
パレスチナ滞在を通して、満たされた気持ちと、何も出来なかったというもやもやが私の中に芽生えました。
どうしたら役に立てるんだろう?
そう思って、とにかく手を動かしてみることにしたのです。
それから、様々な出会いに恵まれます。動き出した2018年の冬から翌年の春にかけて、パレスチナ刺繍で起業をしている方(※1)やシリア支援の傍ら中東の魅力を楽しめるようなイベントを企画している方(※2)、とにかくパレスチナの人たちがかっこいいドキュメンタリー映画(※3)に出会い、箸づくりのアイデアも浮かびます。
占領の矢面に立たされているオリーブの木、この木材で箸を作りたい――
そしてこれが、今パレスチナに実際にある”壁”ではなく”橋”=”箸”を、という「架け箸」の名前になりました。
もやもやを突き詰める
この時、私はちょうど就職活動の時期を迎えていました。
これからどうしようかと考える中で、頭の中にあったのはどこで働くのかよりも、どんな風に在りたいか、でした。
そう思った時、パレスチナを真ん中に置きたいと思ったのです。
パレスチナ問題には、別ページでも書いたように認識のズレや色んなレイヤーがある、というのは事実です。
そして、私自身まだまだ勉強中の身です。
でも、
パレスチナの人が、”パレスチナ人”だからというただそれだけの理由で抑圧され、普通に暮らす権利を否定される現実。
生の尊さを顧みないような紛争・占領の醜さ。
こうしたものに対して、小さくても出来ること。それは、一人でも多くの人にパレスチナの魅力を伝えること。
集まったスキの気持ちが、迫害への抑止力になる。
占領なんて、しているだけ損だと認識させる。
それが架け箸のやり方です。
これってパレスチナだけの問題でしょうか。
起きていることの根本はとても普遍的で、日本でも見回せば色々な課題があって、
今マジョリティだと思っている人も、何かの拍子にマイノリティになるかもしれません。
今平和な国が、死ぬまでちゃんと平和でいてくれるかどうかも分かりません。
人の命の扱いだけではなく、他の生物の命の扱いや環境に対しても、経済優先で軽んじてきたのだ、と思います。
自分の正しさが正しいとは限らないし、自分の伝える現地のイメージはほんの一部でしかない。
それに、現地の状況を考えれば、共感の輪を広げるのはとても地道で時間のかかることです。
それでも、
様々な角度から社会が見直されようとしている時代に、一度きりの生を受けて、じっとしているより動きたいな、と感じたから私は架け箸を創業しました。
※1:パレスチナ刺繍帯プロジェクトの山本真希さん
※2:Piece of Syriaの中野貴行さん
※3:「乳牛たちのインティファーダ」